会社経営に「もしも」は禁句です。
しかし、そうはわかっていても、「もしあの時、社員の誰かが強引に私を説きふせてくれていたなら・・・」と思うことが少なからずあります。
企業の成功譚の陰には、それを上回るトップの判断ミスがあると言ってもいいでしょう。
次にご紹介する失敗談は、そのような例です。
誰からも「反対意見がない」とき、情熱で押しまくる人になれ!
ある企業で自動車の排ガス測定器の開発に成功し、この機械が売れはじめた頃のことです。
排ガス測定器では生のデータを得ることができるが、これを基にしてエンジンの性能を評価するには、複雑な計算処理が必要になります。社員たちは、これに対応できるコンピュータシステムを開発させてほしいと社長に言ってきました。
ちょうどその頃は、コンピュータ時代の幕開きのころであり、技術屋の社長としても興味があったので、開発部隊を編成しました。
ところが、コンピュータ事業を検討してみると、ハードとソフトの開発に膨大な資金が必要でした。
この企業の体力からすれば、これは命取りになると社長は危惧し、計算処理はコンピュータ専門会社に任せ、自分の会社は生のデータ提供に留まるべきと判断を下しました。
開発部隊は技術屋だけに、コンピュータ事業の中止命令には不満があったはずですが、開発部隊のスタッフからはそれほど強い抵抗はありませんでした。
この当時は、松下でさえコンピュータ事業から手を引いた時代であったことを思えば、開発部隊が素直に社長が下したコンピュータ事業の中止命令を受け入れてくれたのも当然だったでしょう。
結局、このプロジェクトは数億円の損を出して終わった。
ところが時代の発展に伴い、生のデータ提供だけではビジネスにならなくなってきた。
顧客のニーズを満たすには、データの提供から解析、さらに通信まで一貫したシステムが必要になったのです。
しかも、測定部分より解析部分(コンピュータ)のほうがシステムとして比重が重い。
コンピュータシステムを持たなければ、この企業はコンピュータ会社の下請けに甘んじることになる。
こうした事情から、結局この企業は、分不相応の出資をしてアメリカのコンピュータシステム会社を買収することになりました。
ただ、「もしあの時、社員の誰かが強引に私を説きふせてくれていたなら・・・」
開発部隊がどうしてもコンピュータ事業をやらせてくれと言っていたならどうなっていたか。
会社は非常事態を迎えたかもしれませんが、コンピュータ技術は確実に進歩したはずです。
苦労して、アメリカのコンピュータシステム会社を買収する必要はなかったでしょう。
もちろん、コンピュータ事業の開発部隊が経営責任者である社長の開発中止命令に従ったのは、企業経営面から見れば当然のことです。
これが組織というものです。
しかし、その一方で「もしあの時、社員の誰かが強引に私を説きふせてくれていたなら・・・」
権限や命令系統にとらわれず、情熱でグイグイ社員は企業にとって不可欠です。
情熱で押しまくる人は仕事ができる人。
そんな人達が、日本の企業を大きくします。